うぃっと第61回公演うぃっと第61回公演「赤っぽいネコ、或いは幸福な王子」12/26~28あさくさ劇亭にて。来てね! …劇団W.I.T.のメルマガです。基本、斜め上なブラックジョーク満載の文面なので、真に受けて炎上させないでね。
学校の畑のチューリップにも、
花が2つ3つと咲き始めた頃…
こんにちは、しなやかしなちゃんです。
○今日のアンクル・ギャグ。
テストステロン。
男性ホルモンの一種。
精力や筋肉増大、
体毛やひげなどの発生、
答案用紙の廃棄など、
男子の性的特徴に強く関わりがある。
ランドセルや教室の机の奥深くに、
化石となったプリントの数々が、懐かしい(´Д`)
そんな化石のような話は、後半へどうぞ。
あ、でもその前に、
公演情報もあります。
↓ ↓ ↓
********
□1
うぃっと次回公演
「身も蓋もない話」
□2
「浅草キャンプ!」より
********
□1
うぃっと第56回公演
「身も蓋もない話」
5月10日(金)~12日(日)
あさくさ劇亭にて。
※公演チラシがなかなかできません。
明日の板橋cityマラソンが終わったら、何とかします。
しばし、お待ちを…
○詩劇×スタンツ?
毎年春の公演の方が、真面目な内容が多い。
例えば、去年は「説教」だった。
…あれは真面目な内容だったのか!
今回は、タイトル通り、身も蓋もない話。
リアルで話せば角が立ち、
ネットに流せば炎上必至。
珠玉のネタを磨きに磨き、
力を入れ過ぎ落として割って、
ガムテープで補修して、
素知らぬ顔でまた磨き…
これまで書かれたシーンも、
危険な情事に水を差したり、
自然災害に毒吐いたり、
聖書の教えに背を向けたり、
作者の脳内で奇妙な踊りが始まったり、
真面目であるが故に、
ロクでもないものばかりである。
表現手法としては、
90年代のうぃっとが主にやった詩劇のスタイルと、
今世紀おなじみのスタンツ、
その2つの融合を
「これまでとちょっと違った形で」
試みているところ。
身も蓋もない中での作業なので、
取っ散らかって仕方ない。
高く積まれた資料と共に、
自分も残骸となる恐怖をリアルに感じている(´Д`)
(つづく)
********
□2
2018クリスマス公演
「浅草キャンプ!」より
第5回。
過去を蔑ろにすることは、現在を蔑ろにすることでもある。
--------
8) ピーナツの殻
C:昔の写真とか、旅行の資料とか、メモとか、
整理しててわけわかんなくなる。
一体どれを取っておけばいいのか。
まるでピーナツの殻じゃないか。
取っておいて何の意味があるのか。
何月何日何時何分、どこで何を食べたか。
事件でも起きなきゃ役に立たないこと。
逆につまらなくて意味のないようなことでも、
保管しなければならないものもある。
法律とか契約とか絡んでくるもの。
邪魔で棄てたくても棄てられない。
自分にとって記憶に甦り、胸が躍るものほど、
他人にとっては無価値なものだったりもする。
途方にくれてその場で寝てしまう。
ゴミのように。
そんな姿を上から眺めて気がついた。
「実はもう、
俺自身がピーナツの殻なんじゃないか?」
♪AC~
「浅草キャンプ」
--------
○思い出がいっぱいあるのは、悪いことではない
だが、思い出の品々に囲まれてると、
段々狭くなり、身動きが取れなくなってくる。
単にスペースが減るということではない。
思い出たちが「まあ、ゆっくりしてけ」と主をそこに留め、
動けなくさせてしまう。
片づけをしていて、そんな経験をした人は少なくないのではないか。
思い出の誘惑が怖くて放置しておくと、それらは殖え続けて、
いつの間にか包囲されてしまう。
さらにそこに果たせなかった想いや、
多忙にかまけて己に陽射しも栄養もやれず、
愛情に渇いたり、自己肯定ができなかったりが重なると、
モノにすがり、モノがモノを呼び、
ゴミ屋敷の完成に至る。
いいも悪いもないまぜの思い出の品々に魂を吸い取られ、
一緒に干からびていく…
そして、
「実は俺自身が、ピーナツの殻だった」ことに気づく。
じゃあそもそも、本体は何だったんだよ?
中身はどこへ行っちゃったんだよ??
いいことを教えてあげよう。
中身はもう、食べちゃったんだよ(´Д`)
--------
9) ピーナツの殻の逆襲
G:ゴーロゴーロ。
ボク、ピーナツの殻。
お前がゴミだと思って捨てたのは、
ピーナツにとっては本体だ。
ボクは中身を詰めればまだ使えるよ。
ピーナツの中身は売ってるが、
殻だけは売ってない。
♪AC~
「浅草キャンプ」
--------
○ピーナツの殻の言い分
では、ピーナツの殻となったボクには価値がないのか?
中身を食い尽くされて役目は終わったのか?
何を言うか。
ボクこそが本体なのだ。
ピーナツの殻には、中身が必要だ。
中身とは、仕事と生活であり、世の中に役割を持って存在することだ。
あれ?
中身はもう食べちゃったんじゃないの??
もう一ついいことを教えてあげよう。
中身をもう食べられちゃった人は、新たな中身を持てばいい。
容器に合った中身を選ぶと良いと思う。
この国に住む、何千万の高齢者と言われる人たち。
終わったもの、厄介者、コストとして扱われることも少なくないが、
彼、彼女、一人ひとりの話を聴くと、学ぶことが多い。
モノが溢れ、「捨てる」ことが時代の流れとなった今日この頃だが、
捨てていいものといけないものがある。
きれいさっぱり過去が片付いたのをいいことに、
歴史の中で
「あったことをなかったことに」
「なかったことをあったことに」
お上や支配層の都合のいいように捻じ曲げる輩がのさばってる。
1つ1つのピーナツの殻の声を聴き、遺すことは大事だ。
これまで抑え込んでいた、気忘れてしまっていた
己自身の声も含めて。
(次回へつづく)
********
昨日、地元の幼稚園の修了式に行った。
園児が園長から証書を貰い、振り返って、
お母さん・お父さんと目が合って、
どちらからともなく笑みが浮かぶ、
親子の表情がよく似てて、微笑ましかった。
「顔が比例してる」という表現がピッタリくる。
生まれて数年なので、外観が似てる親子も多かったが、
佇まい、筋肉の動きに共通するものを感じる親子もいた。
人は生活の中で育ち、学び、継承していく。
この季節は寂しい気持ちになることも多いが、
他の人の人生の節目を見るのも悪くはないなと思った。
ではまた来襲。
花が2つ3つと咲き始めた頃…
こんにちは、しなやかしなちゃんです。
○今日のアンクル・ギャグ。
テストステロン。
男性ホルモンの一種。
精力や筋肉増大、
体毛やひげなどの発生、
答案用紙の廃棄など、
男子の性的特徴に強く関わりがある。
ランドセルや教室の机の奥深くに、
化石となったプリントの数々が、懐かしい(´Д`)
そんな化石のような話は、後半へどうぞ。
あ、でもその前に、
公演情報もあります。
↓ ↓ ↓
********
□1
うぃっと次回公演
「身も蓋もない話」
□2
「浅草キャンプ!」より
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□1
うぃっと第56回公演
「身も蓋もない話」
5月10日(金)~12日(日)
あさくさ劇亭にて。
※公演チラシがなかなかできません。
明日の板橋cityマラソンが終わったら、何とかします。
しばし、お待ちを…
○詩劇×スタンツ?
毎年春の公演の方が、真面目な内容が多い。
例えば、去年は「説教」だった。
…あれは真面目な内容だったのか!
今回は、タイトル通り、身も蓋もない話。
リアルで話せば角が立ち、
ネットに流せば炎上必至。
珠玉のネタを磨きに磨き、
力を入れ過ぎ落として割って、
ガムテープで補修して、
素知らぬ顔でまた磨き…
これまで書かれたシーンも、
危険な情事に水を差したり、
自然災害に毒吐いたり、
聖書の教えに背を向けたり、
作者の脳内で奇妙な踊りが始まったり、
真面目であるが故に、
ロクでもないものばかりである。
表現手法としては、
90年代のうぃっとが主にやった詩劇のスタイルと、
今世紀おなじみのスタンツ、
その2つの融合を
「これまでとちょっと違った形で」
試みているところ。
身も蓋もない中での作業なので、
取っ散らかって仕方ない。
高く積まれた資料と共に、
自分も残骸となる恐怖をリアルに感じている(´Д`)
(つづく)
********
□2
2018クリスマス公演
「浅草キャンプ!」より
第5回。
過去を蔑ろにすることは、現在を蔑ろにすることでもある。
--------
8) ピーナツの殻
C:昔の写真とか、旅行の資料とか、メモとか、
整理しててわけわかんなくなる。
一体どれを取っておけばいいのか。
まるでピーナツの殻じゃないか。
取っておいて何の意味があるのか。
何月何日何時何分、どこで何を食べたか。
事件でも起きなきゃ役に立たないこと。
逆につまらなくて意味のないようなことでも、
保管しなければならないものもある。
法律とか契約とか絡んでくるもの。
邪魔で棄てたくても棄てられない。
自分にとって記憶に甦り、胸が躍るものほど、
他人にとっては無価値なものだったりもする。
途方にくれてその場で寝てしまう。
ゴミのように。
そんな姿を上から眺めて気がついた。
「実はもう、
俺自身がピーナツの殻なんじゃないか?」
♪AC~
「浅草キャンプ」
--------
○思い出がいっぱいあるのは、悪いことではない
だが、思い出の品々に囲まれてると、
段々狭くなり、身動きが取れなくなってくる。
単にスペースが減るということではない。
思い出たちが「まあ、ゆっくりしてけ」と主をそこに留め、
動けなくさせてしまう。
片づけをしていて、そんな経験をした人は少なくないのではないか。
思い出の誘惑が怖くて放置しておくと、それらは殖え続けて、
いつの間にか包囲されてしまう。
さらにそこに果たせなかった想いや、
多忙にかまけて己に陽射しも栄養もやれず、
愛情に渇いたり、自己肯定ができなかったりが重なると、
モノにすがり、モノがモノを呼び、
ゴミ屋敷の完成に至る。
いいも悪いもないまぜの思い出の品々に魂を吸い取られ、
一緒に干からびていく…
そして、
「実は俺自身が、ピーナツの殻だった」ことに気づく。
じゃあそもそも、本体は何だったんだよ?
中身はどこへ行っちゃったんだよ??
いいことを教えてあげよう。
中身はもう、食べちゃったんだよ(´Д`)
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9) ピーナツの殻の逆襲
G:ゴーロゴーロ。
ボク、ピーナツの殻。
お前がゴミだと思って捨てたのは、
ピーナツにとっては本体だ。
ボクは中身を詰めればまだ使えるよ。
ピーナツの中身は売ってるが、
殻だけは売ってない。
♪AC~
「浅草キャンプ」
--------
○ピーナツの殻の言い分
では、ピーナツの殻となったボクには価値がないのか?
中身を食い尽くされて役目は終わったのか?
何を言うか。
ボクこそが本体なのだ。
ピーナツの殻には、中身が必要だ。
中身とは、仕事と生活であり、世の中に役割を持って存在することだ。
あれ?
中身はもう食べちゃったんじゃないの??
もう一ついいことを教えてあげよう。
中身をもう食べられちゃった人は、新たな中身を持てばいい。
容器に合った中身を選ぶと良いと思う。
この国に住む、何千万の高齢者と言われる人たち。
終わったもの、厄介者、コストとして扱われることも少なくないが、
彼、彼女、一人ひとりの話を聴くと、学ぶことが多い。
モノが溢れ、「捨てる」ことが時代の流れとなった今日この頃だが、
捨てていいものといけないものがある。
きれいさっぱり過去が片付いたのをいいことに、
歴史の中で
「あったことをなかったことに」
「なかったことをあったことに」
お上や支配層の都合のいいように捻じ曲げる輩がのさばってる。
1つ1つのピーナツの殻の声を聴き、遺すことは大事だ。
これまで抑え込んでいた、気忘れてしまっていた
己自身の声も含めて。
(次回へつづく)
********
昨日、地元の幼稚園の修了式に行った。
園児が園長から証書を貰い、振り返って、
お母さん・お父さんと目が合って、
どちらからともなく笑みが浮かぶ、
親子の表情がよく似てて、微笑ましかった。
「顔が比例してる」という表現がピッタリくる。
生まれて数年なので、外観が似てる親子も多かったが、
佇まい、筋肉の動きに共通するものを感じる親子もいた。
人は生活の中で育ち、学び、継承していく。
この季節は寂しい気持ちになることも多いが、
他の人の人生の節目を見るのも悪くはないなと思った。
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